寛容の精神 spirit of forbearance 2003 11 13

「ユダの裏切り」という言葉を聞きます。
こういう言葉が、人の口に出るとは、
2000年経っても、キリスト教徒は、ユダを許していないということになる。
しかし、あの時の状況を考えれば、
誰でも、ユダになる可能性があった。
人間としてのユダを憎むのではなく、
自らの心の中に棲むユダこそ憎むべきです。
誰の心にも、ユダはある。
人を憎んではいけない。
自らの心の中のユダを憎むべきです。
寛容とは、愛が姿を変えたものです。

もう、ユダを許すべきです。